2019 年、第32回山本周五郎賞を受賞した朝倉かすみの小説を映像化。
「花束みたいな恋をした」の土井裕泰監督がメガホンを取り、
主演に堺雅人・井川遥を迎えた、
“大人の恋愛映画”として話題の作品です。
地元である郊外の住宅地に戻って暮らす
50代・バツイチの男性を主人公に据えた設定が実に現実的で、
また、その地元に今なお暮らす同級生たちとの交流、
そしてかつて“片思い”をしていた女性との再会から
物語が静かに動き出す様には、
当方も50歳を超えた今だから共感できるリアリティがあります。
そして、今回も見所を幾つか、
“ネタバレ”にならない程度にご紹介します。
●“普通の男”堺雅人
主演の堺雅人と言えば、
この10年ほど、市井の人間の役が思い出せません。
弁が立ちすぎる敏腕弁護士、行動力がありすぎる銀行マン、
そして謎が多すぎる“別班”の男…
それが今回は、上で述べたように
離婚を経験し、母の介護のために地元に帰ってきた50代の男。
印刷会社で勤勉に働きながら
週1回、認知症のために介護施設で暮らす母の顔を見に行く日常を
淡々と過ごしているという設定。
現実には、こういう境遇で生きる方も多いと思われますが、
これを“あの堺雅人”が実に自然と演じています。
元々“演技派”と言われる俳優ですから、
こういった役柄も当然こなせる訳ですが、
ここ数年の“トリッキーな演技”を見慣れてしまったせいで、
逆に新鮮に感じられたのかも知れません。
個人的には大河ドラマ「新選組!」における
山南敬助役で彼を知ったのですが、
その際も微笑が印象的ながら、抑えた芝居をしていた感があります。
改めて堺雅人という役者の“幅”を見た思いです。
●50代以降は“喪失感”との対峙
現代社会に生きる人間としては、
幼い頃から様々な“別れ”を経験して大人になるものですが、
50代を過ぎると、より多くの“別れ”に直面します。
親との死別、仲間の死、他家に嫁ぐ娘、巣立つ息子なども。
子ども達のそれは新たな出会いをもたらすことも少なくないですが、
多くは天に召された命を見送ることになるもので。
この主人公も、病を患うほどのストレスを生んだ妻との離縁から
息子の顔さえ忘れた母との死別、そして40年近い年月を経て再び邂逅した“初恋の女子”とも…
加えて、これまでは“当然”だったことが出来なくなるという
“能力の喪失”とも直面するのが、この世代。
避けることができない、これらの“喪失感”といかに向き合っていくのか。
ましてパートナーとも別れて一人で生きることになった方には、
身につまされる問題を内包している物語なのではないかと。
●長く生きるほど縛られる“己の業”
主人公の“初恋の人”である、もう一人の主人公の女性。
若い男と駆け落ちした実母に捨てられ、父子家庭で育ったことから
“一人で生きていく”と思春期に誓ったという“芯の太さ”を持ちます。
有名大学から一流企業へ就職し、
一見エリートコースを歩んでいたのですが…
しかし、あれほど嫌った母と同じような恋慕を重ね、
50代を過ぎた今、「誰より自分を軽蔑している」と自身を顧みながら
全てを失って地元に帰ってくることに。
その後、かつての旧友だった男との再会から逢瀬を重ね、
本心では心から彼を求める一方で、
今や何も誇るものがない自分を許せず、
秘めた思いを曝け出すことが出来ないというジレンマに陥ります。
これが思春期の頃、あるいは青年期であれば、
自身を顧みること改めることができるのかも知れない。
しかし、長年しがみ付いてきた思いや感情、
それはもはや“業”と呼ぶべきベクトルで自分を縛り付けてしまう。
「自分を許せない」という思いは、
やはり長く社会を生きてきた人間だからこそ生まれる
足枷なのかも知れません。
様々な感情を抱えながらも、二人が抱き合う夜が訪れます。
しかし、そこでも、自身を求める男を一度は拒み、
「これ以上はファンタジーだよ…」と口にする彼女。
そこからは、年齢や社会性だけではなく、
これまで自分を不幸にし、不幸にされた人間達を思い出し、
その上、この彼までを巻き込むことが怖いという
別の“理性”も感じさせます。
“大人”であるが故の臆病さ、自分を律したい理性、曝け出したい本能…
様々な思いごと体躯を重ねる二人のシーンに、
文字通り“大人の恋愛映画”たる所以を見ました。
劇場にて、本作の前に予告編として映し出される
“恋に恋するティーンエイジャー”向けの作品では
およそ描けないであろう奥深さ。レイヤーの複雑さ。
観ている自身がほぼ同世代であるが故に、
すこし心に響き過ぎたのかも知れません。
しかし、上で述べた“喪失感との対峙”というやつが
これから自分にも幾つか訪れるのかと思うと
「共感」という言葉では伝えきれない“怖さ”すら覚えるのです。
作中で、男が同僚である爺さんに愚痴るシーンがあります。
「お互い大人だし、これ以上傷つけ合うのが怖い」と。
それに返した爺さんの言葉、
「本当に大切な相手なら、俺だったら幾らでも傷ついてやる。
“寄り添ってくれる人”がいるってだけで幸せなんだ」
語り口は軽妙ながら、これが実に重い。
それを幸せだと知れる感性、
それこそが“大人”の最大の嗜みなのではと思わせてくれる作品でした。
