“経営”する人たち / よもやま話 / By chanter もう15年近くに渡って愛用してきたSNS・Twitterが新しくやってきた経営者の方針で「X」と名称変更。ドメインこそ変わってないですが、PCサイトを見ているとタイトルやファビコンも「X」に更新され、着々と新名称への移行を進めているように見えます。しかし、今後、彼がやろうとしている金融商品などは各国の法令や商標なども抑える必要があり、メディアも懐疑的に見ているようですね。金と勢いがあっても、できること・できないことがあるようで。 自身の経営する事業が上手くいっていると、人間というのは傲慢になるのでしょうか。広告の企画・提案などの業務をやっていると、会社経営者と接する機会も少なくないです。ただ、ビジネスの話をしにいっている環境で“傲慢”に気づかれるようではその人物の器も知れたようなものです。 恐らく普通の人より3倍ぐらいの転職をしてきた私なのでそのような“傲慢”な経営者も少なからず見てきました。昭和にできた会社、それも薄利多売でやっている業種では顧客を欺いても契約・販売を重ねるのを良しとする経営者がいましたし、まして従業員など、歯車どころか、それに差す油ぐらいにしか考えていない経営者もいました。一時期、家電の量販店に勤めたことがあったのですが、そこの担当者会議は、いまホットな○ッグモーターのそれと同じ雰囲気でした。怒号・詰問・人格否定、そして降格人事。急成長する企業には、やはり何かしらの“無理”が含まれるもの。それに目を瞑ったまま成長を目指すと、しっぺ返しがくるものですね。その量販店も、今は他社と合併しましたが、未だに各店舗の薄暗い雰囲気が嫌いで、そこでは買い物をしない私です。 加えて言うと、広告の制作プロダクションなどは少ない人数で構成されるのが普通で、経営者の傲慢さが顕著になると、比例して会社全体が険悪な空気になります。体調を崩す人、精神を病む人、その他諸々。長く続く会社も、“中身”が入れ替わっているだけですから組織として優れているかどうかは分かりません。そして、それを経験してきて独立した人が、同じように他者に対して傲慢になる悪循環。 綺麗事を言うようですが、ビジネスとは“社会への奉仕”であり、社会を幸せにしないビジネスは“虚業”でしかないのではと考えます。 従って、企業のブランディングを考える上で、まず考えるのは「その企業が社会に提示できる“価値”」。ただ儲けているだけの仕組みに“価値”はなく、ブランドに昇華することもありません。その辺の話を、まず経営者とディスカッションをするようにしています。そこで理解が得られて、初めて一緒にビジネスができるってなもんです。 過去関わった経営者たちの顔を思い出すと、全部その悪事を晒してやろうかという気持ちも生まれてきそうですが、それをやってしまうと、私自身の器も知れてしまうというところで。ここはひとつ、“オトナ”になってやり過ごすとしましょう。ちなみに現在の私は、“気持ちよく関われない人”とは仕事をしないようにしています。