“星”をつかまえる覚悟 〜映画「この夏の星を見る」より / よもやま話 / By chanter 最近は、時間さえあれば劇場に足を運んで映画を観ているのですが、先日も、現在公開中の映画「この夏の星を見る」を観てきました。今回は、そのお話でございます。ㅤㅤㅤ舞台は、コロナが深刻さを増し、「緊急事態宣言」「行動制限」などが当たり前になっていた2020年。ㅤ子供の頃から天体観測が大好きで、ㅤ高校でも迷わず天文部に入った主人公の女の子が、理不尽に奪われていく“日常”や“歓び”を取り戻すべくオンラインによる「スターキャッチコンテスト」開催を通じて、仲間たちとの“絆”や、自身の“夢”の姿にフォーカスしていく、という話が軸になっています。 一方で、主人公のいる茨城と並行して、打ち込んでいたサッカーを奪われただ時間を持て余している東京に住む中学生の少年、県外からの宿泊者を受け入れていたが故に家業の民宿が中傷や嫌がらせに晒されていた長崎・五島に暮らす高校生の少女の日常も描写。いわば“コロナ”によって平穏を奪われた子ども達が「スターキャッチコンテント」と出会い、数多の星の海から“ひとつの星”を見つけることで日々の充実を取り戻していく様を描いています。ㅤㅤㅤ※「スターキャッチコンテスト」とは、 同じ規格の手製の望遠鏡により 指定された星を捕捉する時間を競う競技のこと。 我々は、イイ大人としてコロナ禍と対峙していた訳で、不景気や大震災と同様、降りかかった災厄として、時が過ぎるのを耐えるしかないと割り切って日々を過ごすことを求められ、実践していました。しかし、主人公をはじめとする中高生の少年少女は、その一日一秒の刹那に新たな出会いや発見があり先の人生を生きていくための基礎をつくっていく大切な時期。そこに踏み込んできたコロナという暴威は仲間との何気ない触れ合いや、部活や勉強といった“貴重な日常”を奪っていった訳で、その時点での夢や目標さえ失った子も少なからず居たことでしょう。※その世代のお子さまが居る方は、 それを肌で感じられていたかとも思います。それぞれに将来の光を見失いかけていた主人公達を「星をつかむ」競技が架け橋となって、それぞれの日常に光が射し“絆”が紡がれていく様は、あの“コロナ時代”の閉塞感の中でも希望を失わなかった人間の生命力そのものの強さを感じさせます。 いつだって、人間は“光”を求めて手を伸ばしている。 それは夢だったり、物だったり、愛だったりと光の色や形は様々だけれどそれを求める様々なベクトルが織り重なって美しい世界が仕立て上げられることが理想的な人間社会の有り様かと。 「スターキャッチ」というのは、実際にも行われている競技のようですが、どこか人間の営みともリンクするような深さを感じさせます。 劇中で、東京に暮らす中学生の少年が「東京でも星は見えますか?」と尋ねるシーンがあります。確かに様々な光が交錯する都会では、星の光など儚いもの。しかし、その光を探し当てたいという気持ちさえあれば見えないものなど無いと主人公は説きます。そのセリフに、かつては、仕事ひとつとっても理想を描きああするべき、こうするべきという意思を持っていたのにいつしか“最短距離”で素早く片付けることに意識を変えてしまっていた最近の自分を見て少し恥ずかしい気持ちにもなりました。 その一方で、同じ時間に夜空を見て、同じ星を見つけるという遊戯にどこか“雅”な精神を見ました。思えば、古の時代から多くの人々が行ってきた行為。今や手元のデバイスで嘘か真実かわからない情報を老若男女が見つめる時代ですが…。案外、物事の“本質”というものは夜空に浮かぶ星を見ているような瞬間に気づくものなのかも知れません。