推しすぎにも程がある 〜映画「ベートーベン捏造」より〜 / よもやま話 / By chanter 「ベートーベン捏造」ㅤあのバカリズム脚本で、主演は山田裕貴、その他も古田新太、染谷将太と演技派が揃う力作。ㅤ歴史に名を残す稀代の音楽家・ベートーベンの“秘密”を、コミカルかつ、少しサイコホラーを思わせる描写でリズミカルに仕上げた作品でございました。 (以下、ネタバレ含みます)ㅤ山田裕貴演じるところのシンドラーはそれなりの名家に育ちながらも、学生運動などの“時代の空気”に流されるまま幼少期から習ったバイオリンで何となく食っていた男。ㅤそれが、ひょんなことから稀代の音楽家・ベートーベンの“秘書”になったところから物語は始まります。ㅤ このシンドラーが、もう“ベートーベン愛”が溢れすぎる男で言わば、ただのアイドルファンが“推し”のマネージャーになってしまったような状態。少しクセのある性格のシンドラーは、“大好き”なベートーベンにさえ疎まれていくのですがそれも気づかないほど嬉々としてベートーベンの世話を日々焼いていくのですね。 そこから色々あった中、ベートーベンは死んでしまうのですが、シンドラーの“ベートーベン愛”は治まるどころかより一層の信念を纏って強固になっていきます。ㅤ実際のところは、結構な癇癪持ちで面倒な性格だったというベートーベンを“稀代の音楽家”として後世に語り継がねばならない…そんな“使命感”さえ抱きながら、シンドラーは“ある行動”に出る…ㅤㅤ…と、まぁ、こんな話です。詳しくは劇場でどうぞ、と。 「恋は盲目」なんて昔から言います。しかし、その対象の本質を知れば知るほど目が覚めていくというのが世の常ですが、この主人公は、ベートーベンの死後、その“思い”を更に強くしていくんですね。ㅤ恐らく、ベートーベンの“秘書だった”という事実こそが彼のアイデンティティとなり、彼が憧れ愛した“イメージ”のままベートーベンが世間に評価されることが彼自身の“価値”である…というようにシフトしたのでしょう。愛を注ぐ対象から、自身の“生きがい”としてベートーベンを“正しく”後世に伝えることに心血を注いでいく。その様を同業者たちは嘲笑い、今でいう“炎上”さえ起こしていくのですが、全く意に介さず活動を止めないシンドラーの迷いの無さには人間の業というか、情念の恐ろしさすら感じます。ㅤ愛情表現にも様々な形がありますが、これもまた、ひとつの“愛の形”なんだろうなと“人間”という生き物の真理を見たような気がいたします。そう。これも、愛。ㅤ ところで、本作のエンドロールで、ベートーベンのピアノ・ソナタ第23番「熱情」第3楽章 が流れるのですがこの曲、40年ほど前に放送されたドラマ「少女に何が起こったか」(主演:小泉今日子)の終盤でコンクールの課題曲として散々聴かされるのです。ㅤこのドラマ、ご存知の方も少なくないかと思いますがおさらい程度に説明しますと…ㅤある名門の私立音楽大学の学長宅に、18歳ぐらいの少女が突然殴り込んでくると。「わたしは、あんたの息子の娘だ」と。かつて恋人と駆け落ちし勘当した息子は将来を嘱望されたピアニストで作曲家でもあったのですが、その彼が遺したという直筆の楽譜を証拠として娘を名乗り共に亡くなった自分の両親に謝れと迫るんですね。ㅤそこから色々あって、学長宅に居候しながら、音楽大学に通ってピアノも習うようになる主人公なのですが、彼女もまた、ひとつ“捏造”をしていたんですね。それは、前述の“父直筆の楽譜”に、父の筆跡を真似て書き加えた一節…それは「生まれくる我が子に捧ぐ」という表題。自分の誕生と入れ替わるように亡くなった父の遺作が自分へのプレゼントだったら…という願望をそこに込めてしまったと。ㅤそれがバレて、何故か主人公は牢屋に入れられたりするのですが(この辺りが、往年の大映テレビ制作の真骨頂)それにもメゲず、主人公は見事、コンクールで優勝を果たすと。ㅤその時の課題曲が、この「熱情」!当時、イヤというほど聞かされた(ドラマ見てただけですが)曲をㅤまさか40年も経ってから映画館で聴くことになるとは。ㅤ同時に、同ドラマでの辰巳琢郎の“大根芝居”も思い出したのですがㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ彼が主宰した劇団「そとばこまち」を引き継いだ生瀬勝久が「ベートーベン捏造」で助演しているのも奇縁。そして、もう一人の主役・ベートーベン役はその「そとばこまち」の向こうを張り、今や大劇団となった「劇団☆新感線」の古田新太なのですが。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ 本題よりも、脇道が長くなってしまって申し訳。 しかし、いつの時代も、“熱情”にあふれる“運命”のドラマに添えられる楽曲を数多創ったベートーベンはやはり偉大な音楽家であったことは間違いないようですね。