“謝罪要求”という罪 / よもやま話 / By chanter 昔から“人を呪わば穴二つ”なんて言葉もあるように、悪意を持って他人を陥れようとすると、決まって自分も悪い方向へ進んでしまうもの。最近、テレビに出ているタレントの不用意な言動に対して主にネット上で「謝れ!」「なぜ謝らない?」というようにやたらと“謝罪”を求める風潮があります。もっとも、一部のネット民だけの話なので、実際にこの行動を起こしているのは数百人ぐらいのものでしょう。しかし、これを気にするが故に、一部のバラエティでは表現が大人しくなったり、問題を起こしそうなキャスティングを避けるようになりました。上のような“謝罪”を求めるようなカキコミをしているような輩に限って「最近のテレビはつまらない」などと言っているように思いますが、テレビをつまらなくしているのは他でもない自分たちでは?そんな事を考えるこの頃です。本当に罪深いのは、誰か。 時の為政者を根拠なき“疑惑”だけで散々誹謗中傷していたワイドショーのコメンテーターが自身の失言の責任を取らされ半年ほど番組を干されたことがあったり、芸人の不貞を厳しく追求していたレポーターが自身の不貞を世間に晒され、職を辞したことがあったりしました。不必要な謝罪や辞任、責任を求めるような声を上げて悦に入っていると結果、墓穴を掘るという事例が幾つか起こっているのが興味深いところです。 間違いを犯したら、謝れば良いし、正せば良い。ただ、それを過剰に、誰彼構わず問い詰めるのは、いかがか。積極的に肯定しなくても良いが、“許す”というメッセージがもっと発散されても良いのでは。そこに居て良い、発言して良いと。それこそが“多様性”への一歩ではないかと。 ただ、一方で、誰も求めていない価値観を“多様性”をチラつかせて押し付けてくる輩も居て。きっと、そこにも明確な悪意があるんでしょう。怖い時代になったものです。