新聞広告に思うこと / WEB制作 / By chanter 広告とは“招かれざる客” 私が広告の仕事に就いた頃は、まだWEBという媒体が“怪しいもの”とされ、そこに広告を掲載するということに対して大手企業はまだ二の足を踏んでいる状態でした。広告の花形は、あくまでマスメディア。テレビを筆頭にラジオ、新聞に載せるというのが販促の王道とされていた時代です。その頃、上司などに言われていたのは「広告というものは“招かれざる客”である」ということ。広告を見たくて媒体に触れている客は少ない。だからこそ一瞬で目を惹くビジュアルと意図を伝えるキャッチコピーが重要であると説かれたものです。裏を返せば、歓迎されていない場において、限られたスペースで慎ましく宣伝文句を述べさせていただく、目を惹くことを狙いはしても本体の邪魔はしない、そういった“配慮”を制作側も最低限行い、一方で掲載する媒体側も「校閲」という形でその媒体に相応しくない表現や文言にはNGを出すという形で線引きがされていました。特に新聞社は、この校閲が厳しかったものですが、そこには自社の権威や誇りを傷つけないための「矜持」もあったのではないでしょうか。 クリック、インプレッションで金を産むWEB媒体 月日は流れ、今やWEBが情報発信の基本となる時代。マスメディアはもとより、一般市民でさえ何万人ものユーザーに向けて情報を発信できる時代となりました。特にWEB台頭のあおりを喰った形になったのが新聞というメディア。発行部数、契約部数も絵に描いたような“右肩下がり”の状況で、恐らく広告収入も激減していると思われます。その後、各新聞社とも公式WEBサイトを立ち上げ、そこで最新ニュースを配信するようになりました。しかし、自社の記者たちがかき集めてきた記事を無料で発信するだけでは儲けになりません。そこで多くの新聞社のWEBサイトでは、結構な数のバナー広告を掲載しています。基本的な構造としては、自社サイトのある程度のスペースをWEB広告会社に販売し、ユーザー側には、そのユーザーの属性に応じた広告を配信。その表示(インプレッション)あるいはクリックごとに、言わば“掲載料”が発生し広告主から広告会社を経て新聞社にお金が入るという仕組み。ユーザーに表示される(出稿される)内容はユーザごとに変わり、数多くの広告主からお金がいただけるシステムは新聞社にとっても有意義なものになったことでしょう。 明らかにユーザーの邪魔をしているWEB広告 しかし、そのWEB広告には大きな落とし穴があります。それは「ユーザーの“使い勝手”に配慮していない」こと。特に今や多くのユーザーがスマートフォンにてWEBに触れており、その決して広くはないスペースに割って入ってくる広告に不快な思いを抱くユーザーは少なくないでしょう。特にスポーツ新聞などに多く見られるのが、さほど長くはない記事の文章を分割して「続きを読む」というボタンを押させつつ何回も広告を表示させる手法。少しでも気の利く人間であれば、こんなことをしていてはユーザーに嫌われてしまうと感じそうなものですが未だにまかり通っている状況です。かつては「招かれざる客」として慎ましく載っていた広告が、新聞の主たる記事を差し置いて自己主張をしている状況に現場で必死に取材をしている記者は何を思うでしょうか。ただでさえ移ろいやすいネットユーザーはその見辛いWEBサイトを能動的に訪ねることは少なくなっていくでしょう。 “貧すれば鈍する”新聞業界 せっかく見つけたWEB広告という“鉱脈”を目先の儲けにこだわるがために失おうとしているように見える新聞業界。大手紙では記事掲載をアプリで行い、それを有料配信するという策を取っています。結構なファンでなければ有料アプリ契約をしないのではと思われる一方で、“確かな情報”を毎月数百円で常に読めるのであれば、それは格安だと考えるユーザーも少なからず存在します。そして、この“情報”でお金を取る構図こそ、新聞社の健全なビジネスモデルと言えるのではないでしょうか。WEBの情報は玉石混交とも言われる中、せめて新聞社の発信する情報は全てにおいて“宝”であってもらいたいものです。